GREETING
ご挨拶

POLICYご挨拶

POLICYご挨拶

代表取締役 山口 哲
“To become a team that creates the future of the earth…” is our desire.
「地球の未来を創造していくチームになること…」それが私達の想いです。
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平成10年2月、その当時パンクロックとスケートボードをこよなく愛していた私が株式会社アイムに入社します。
若干19歳でした。初めはアルバイト感覚で父親の仕事を手伝い、夜は趣味に没頭する毎日でした。
今でも不思議に思うのは、高齢者の方々のお世話をさせて頂くこの仕事に対して、社会経験など殆どない私がなぜだか全く抵抗感を感じることもなく、自然と訪問入浴サービスという仕事に就けたことです。

もちろん、父親でもある社長(当時)の影響は大いにあったと思います。同じ車に乗って高齢者のお宅へお伺いし、父親から直接現場で仕事を教えてもらえたことは今でも貴重な経験体験として心に深く残っています。ただそれだけではなく父親が創業前に感じていたことを私も同じように強く感じていました。

「こんなにも人に喜んでもらえる仕事は他にはない」
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訪問入浴サービスという仕事は、ボイラーや浴槽等が積んである専用車両に1チーム3名(入浴オペレーター、入浴ヘルパー、看護師)で乗り込み、1日7~8件のお宅に訪問します。

最初の頃は道を覚えることで精一杯。道に迷いながらも何とか利用者様のお宅に到着するが、今度は作業手順を忘れているなんてことも度々。屋外でも水を扱うため、冬場は指先が切れて痛い、痛い。治った頃にまた切れて更に痛い。

最初は本当に大変でしたが、利用者様はもちろんのこと、まわりの方々に支えて頂き何とか1人前に近づいてきたかなと思っていた頃、忘れられない出来事が起こります。

「太陽の光が眩しいくらいに降りそそぐ良く晴れた初秋」
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今日はどんな笑顔を見せて頂けるのかなと、運転席の窓を全開にしてまだぽかぽかと暖かく気持ちの良い風を浴びながらの運転。ワクワクしながら利用者様のお宅へ向かっていました。

お宅に到着しチャイムを鳴らすとご家族が玄関先に慌てた様子で出てこられ「ごめんなさい、お父さん、今朝、亡くなったの。急だったからお電話できなくて。」と。
まだまだ経験の浅い私には驚きと戸惑いで一瞬時が止まったように思えました。

「命は永遠ではない・・・」
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亡くなられた利用者様は寝たきりの状態ではありましたが、私達がお伺いする度に「待ってたよ。よろしくね。お湯は熱めだよ。」と長い間人生を歩み続けてきた証であるその顔のしわをクシャクシャにしていつも優しく迎え入れてくださいました。

「とびっきりの笑顔で、優しく迎えてくれていた」
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当日も当り前のようにその笑顔を見せてもらえるものと思っていました。
突然のことに動揺しながらも何とか我に返り、最後にご挨拶をさせて頂きたいとお願いをしました。

ご家族は快諾してくださり、入室させて頂くことに。ご遺体はまだベッドの上にいらっしゃいました。入社して初めての体験です。

お線香をあげさせて頂いているとご家族が、「お父さん、良かったね。お風呂のお兄さん達が来てくれたよ。お風呂に入れてもらえるようになったから、綺麗になって逝けてよかったね。」その方に対する愛情とそれまでの感謝が心に染みわたるような声でご本人に話しかけられました。

このような時、ご家族に対してどう接していいかもわからず戸惑っていた私にはその声が天の声のように聴こえました。

「愛情と感謝・・・」「寂しいけど嬉しい」
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なぜならご家族のお顔には悲壮感はなく、温かく優しさいっぱいの笑顔で話されていたからです。
当然、悲しさや寂しさもあったと思います。

しかし、ご挨拶を終え私達が退室させて頂く際も、「有難うございました。最後は寝たきりだったけど、お風呂で綺麗にしてもらってお父さんはきっと天国で喜んでいるわ。
私達家族も本当に助かりましたよ。良かった、良かった。この後も頑張ってね。」と声をかけてくださり、手を振ってお見送りまで。

「優しい笑顔を拡げながら・・・」
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その時に感じた感覚を今でもはっきりと覚えています。利用者様だけではなく、ご家族にも喜んで頂いている。

自分が人の役に立てたのだと。きっとこの時のこの体験が現在の私の土台になっているように思います。

「自分も人の役に立てたという事が、人生の土台に」
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昭和から平成に変わり数年経った頃、株式会社アイムの創業者であり現代表取締役会長の山口朗は、東京都日野市にあるタクシー会社に営業部長として勤務しておりました。その当時、高齢者施設や障碍者施設等の送迎業務の委託を受けていた為、色々な方々との出会いがあり、また訪問入浴サービスという仕事があるのを知ったのもこの頃でした。

しばらくして、実際の現場を見学できる機会があり、そこで見た光景に衝撃を受けたのです。介助を行う若いスタッフの顔を見て、それまで全くの無反応であった高齢者の顔はほころび、スタッフが退室する際には、「また来てくれよ!」と嬉しそうに話されていたその笑顔が忘れられない。

こんなにも人に喜んでもらえる仕事は他にはないと確信し、当時の上司に介護サービス部門の立ち上げを提案。
しかし、上司からのGOサインは出ませんでした。半年ほど悩んだ結果、自らの力で介護サービスを提供する会社を興すことを決意。当時45歳で会社を退職し、平成5年12月に株式会社アイムを創業しました。

「誰かの役に立ちたい」「誰かの助けになることがしたい」
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八王子市南大沢を拠点にし、訪問入浴介護、訪問介護、福祉用具の貸与・販売を中心とした事業を開始。
その後、着々と事業を拡大させていきます。八王子市、多摩市、神奈川県大和市に営業所を構え売上高も順調に伸び、社員の数もどんどんと増えていきました。外見からは急成長に見えていたことでしょう。

しかし、平成26年の秋、その経営手法に歪が生じます。同族経営による負の部分が露呈し始めたのです。
その当時、私も役員に名を連ねておりましたが、組織を率いる力も知識もなくただ数字を追いかけること、また部下に数字を追いかけさせることしか意識をしていない状態でした。当然、社員達のストレスや不満は溜まっていき、会社、組織内での信頼関係は悪化し続け、社員達は一人、また一人と退職をしていきました。

「このままでは・・・」「何かを変えなければ・・・」
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自分の狭い視野、低い価値観を押しつけていたこと、そのこと自体に気付けなかったこと、また社員達のことを想えていなかったことが原因でした。

このような思いが日に日に増していきました。
私は将来リーダーとして、また経営者としてしっかりと務められるのか。
そんな不安で押し潰されそうになったある時、以前、先輩経営者に薦められ1年ほど通っていたある研修の事を思い出しました。

「もう一度学びたい」「自分自身を成長させたい」
「みんなを善い方向に導けるリーダーになりたい」
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そんな思いからリーダーとして成長する為に、経営者の為の研修を受講することを決意します。

その研修で最初に学ぶ事は内省内観(自分自身と向き合う事)です。

組織内の信頼関係の悪化は、組織として機能不全を起こしています。その気になる現実を引き起こしているのは、誰でもない自分自身です。まず自分自身が、どのような世界観を持って言動行動をしているのかをしっかりと理解するということ。

「内省内観、自分自身に向き合って・・・」
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そこで自分は何が出来て何が出来ていないのか、自分自身の蓋をして見てこなかった嫌な部分にもフォーカスをあてしっかりと向き合い、全ての体験から学んでいきます。さらに仲間の考え方、価値観、信念を尊重し承認するということ。

真剣に取り組めば取り組むほど、本当に難しく辛く苦しいことも多くありました。しかし、その困難に向き合うことによって、少しずつですが自分自身が成長し始めたという感覚を実感することが出来ます。

例えば今までだったら、怒りや焦りに任して言動していた事を、自然に穏やかに受け入れられるようになったり、話す事が苦手だと思い言えなかった事が、話せるようになったり、小さな事の積み重ねが、実は大きな結果になる事を確信し日々コツコツ取り組めるようになってきました。

そしてこの学びを通じて気が付いたことは、誰にとっても成長するということは喜びであり、可能性を拡げる源泉になるということです。

「仲間達と心から繋がり、
お互いを尊重し支え合うことが何よりも大切」
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現在、有難いことに経営幹部、社員達と共に学んでおります。
その学びの中にはチームビルディングという目的の為の登山研修がります。

会社の仲間達とチームを組み「山」に登るのです。上司も部下も関係なく同じ登頂という目的、目標をもって自然の山に向き合います。年齢や性別、体格や体力も違う仲間達と一緒に登っていきます。

「チーム全体で助け合い支え合いながら」
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自然の中では何が起きるかわかりません。実際、登山中に豪雨に見舞われたこともありました。
それでもお互いに声を掛け合いながら登頂を目指します。途中、膝を痛めた仲間や疲労で動けなくなった仲間もチーム全体で助け支え合いながら行動するのです。

「本物のチームを創り、みんなで夢を叶えたい」
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登頂すれば皆で素晴らしい景色と本物の達成感を味わえます。そして、皆でまた新たな目標を持つことが出来ます。
しかし、その目標を目指すには、苦労して登って来た道を一度下り、そこからまた登って行かなければならないのです。
天候によっては登頂を断念せざるをえないこともあります。
自分達ではどうにも出来ない外部要因が大きく影響することもあるでしょう。その時、また皆で目標を立て、計画を練り、諦めることなく挑戦するのです。

私達がこのチームビルディング研修で学んだことは、登頂することだけが目的ではなく、チームワークがなければ何も成し遂げられないということ。
そして、チーム全体で同じ「VISION」に向かって手を取り合いながら進んで行けるということ。

「登山も仕事も同じ、こんなに素晴らしい働き方、
生き方を仲間達と続け拡げていきたい」
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そして何より嬉しいのは、山を登っているのは自分達のチームだけじゃないという体験です。ご縁のある経営者の仲間達もみんな、それぞれ課題を持って、理想とするチームを創り社会の役に立ちたいと思い、共に切磋琢磨して学んでいます。
一緒に学んでくれている仲間達がいなければ、またそれをサポートしてくれる仲間達がいなければ、このように想うことは出来なかったでしょう。

皆同じような思いがあり、お互いの気持ちを心から理解し、会社という枠を超え助け合っています。信頼出来る仲間とは、いったいどういうものなのか、体験を通じて学んだ事や、どんな時も支え合う仲間との出逢いが何よりの財産です。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

そして学んだ体験を自分のチームにそして社会に拡げていきたいのです。
高齢化が進む中、人生の先輩方を一人で介護するのではなく、家族という枠を超えてサポートし合えるようなそんなチームに、社会になればと願っています。

「サポートし合える仲間がいる」
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入社から20年、代表取締役社長という責任ある立場に立たせて頂くまで色々な経験をさせて頂きました。
試練も失敗もありました。

今はその失敗という経験が成長の糧になるということを知れるようになりました。
それを教えてくださった今までに出逢った全ての方々に感謝をし、この先にあるどんな困難にも諦めることなく向かっていきます。

「未来へ向かって」
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弊社の提供するサービスを通して、ご利用者様、ご家族様、その人生を共に生き繋がっている全ての方々が、心から豊かに思える生活を営むこと。

地域社会に貢献し、高齢者だけではなくこの国の未来を担う子供たちのため、より善い社会、より善い未来、より善い夢を創造していくこと。

これらが「地球の未来を創造していくチーム」になるために、私達が頂いた「使命」だと考えております。IT技術の革新が大変な早さで進み、AIなどが大いに活躍をするようになった昨今、介護業界はもちろんの事、今現存する全ての業種において、「人が生き生きと働く明るい未来」をイメージすることは容易ではありません。

「私達は共に学び、共に成長し、喜びを共有していきます」
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人間の中に秘められた無限の可能性、人の心の中にある無数の感情や閃きは人間ならではの力です。
この「人間力」を修練し高めることにより、本当に心の繋がった、また相手の心に寄り添った最高のサービスを提供出来るものと考えております。

僕には夢がある。すべての人々が幸せになるために・・・。
ここにいるすべての仲間達と共に とびっきりの笑顔で人生を歩み続け
出逢ったすべての人々の笑い声が世界中に響き渡り
そのエネルギーが太陽の光のように 地球全体をぽかぽかと暖かく包み込む。
僕は信じている。 すべての人々は繋がれるということを。
僕には夢がある。 すべての人々が幸せになるために・・・。

POLICYご挨拶

POLICYご挨拶

常務取締役 佐藤 裕貴
社会の未来を創造するために貢献していく
感謝の気持ちをもって
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いくつかの仕事を経験したのち「社会的な意義を見出せる仕事に就こう」と決意し、29歳でアイムに入社をしました。アイムを選んだのは、入社前にホームヘルパーの資格を取得した学校で「介護に携わる男性はまだ少ないから、体力を活かせる訪問入浴をやってみたらどうか」と薦められたのがきっかけでした。

当時は介護保険制度が始まった翌年の平成13年(2001年)。アイムの社員は20~30名程度だったと思います。
保険制度がスタートしたことも追い風となってか、仕事がどんどん増えていて社内はとても活気がありました。
私は訪問入浴サービスの部署に配属され、すぐに現場研修が始まりました。

最初は何もかもが初めてで、作業の手順はなかなか覚えられない、利用者様や家族様との会話も恥ずかしくてうまくできませんでした。自分が本当に介護の仕事を続けていけるのか心配になりましたが、上司や先輩のご指導のおかげで少しずつ仕事にも慣れ、次第に楽しさを感じるようになったことを覚えています。

目まぐるしく動き出したキャリア
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社内では訪問入浴サービス以外にも新規介護事業を次々に開始していく時期で、私は入社から半年が過ぎた頃、福祉用具課の課長から「君は図面が書けるか?」と声をかけられました。

私は高校で製図を学んだことがあったので「はい、書けます」と答えるとすぐに手伝いを命じられました。
「まだ訪問入浴の仕事が一人前じゃないのに、、、いいのかなぁ、、、」なんて思いながらも言われるがままにやっていると、あれよあれよという間に福祉用具課への異動を命じられていました。

福祉用具課では介護用品のレンタルや販売、住宅改修工事を担当しました。
介護が必要な利用者様の在宅生活は、最初に住まいの環境を整える必要があるため急なご依頼がたくさんあります。

「今から車いすを持ってきてもらえますか」「退院が決まったのですぐに手すりの工事をお願いします」など。そんなご依頼を「お任せください!」と引き受けて仕事を組み立てていきます。最初は知識も経験もないので仕事を組み立てることなどできないのですが、上司も先輩社員も忙しくてゆっくりと仕事を教わる環境はありませんでした。
”一日も早く一人前になる!”と意気込んでいた私は、上司の仕事の仕方を学びたくて「連れて行ってください!」と同行をお願いしたり、知識習得のために資格試験に挑戦したり、日々奮闘しました。次第にメーカーさんや工務店さんに相談をしながら自分一人でも多様なご依頼をこなせるようになり、後輩社員の指導なども任せていただくようになりました。

今も残り続ける温もり
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福祉用具課に配属をされて1年半ほど過ぎた頃、訪問介護課の課長から「ホームヘルパーとし て入浴介助に行ってくれないか」と頼まれました。私は「わかりました!」と答えると早速現場に連れていかれました。

なかなか介護サービスを受け入れていただけない利用者様とのことで、「私にできるか、、、」と少々心配になりましたが、先輩女性社員が厳しいながらも親切丁寧に教えてくれたおかげで、利用者様に受け入れていただくことができました。

利用者様は昔気質というのでしょうか言葉数が多い方ではありませんが、私が「洗いたりないところはないですか?」「湯加減はどうですか?」と聞くと微笑みながら小さく数回頷いてくれます。感情的で怖いという最初の印象とは違うとても穏やかな方でした。

私はお宅を失礼する際に、利用者様に「有難う御座いました!」と深くお辞儀をしてから、奥様のところへいって両手で握手をし「ありがとうございました!またきますね!」とご挨拶をしていたのですが、ある日奥様が私の手をぎゅっと握り返して「ありがとうね。本当にありがとうね」と涙を流されました。

私はビックリしてとっさに「と、とんでもないです!わたしのほうこそ有難う御座います!」とこたえながら、今までの仕事では感じたことがない、温かさで全身を包まれたような感覚になりました。そんな奥様とのやり取りは今も私の心に当時の温かさのままで残っています。

失敗から学んだ上司としての姿勢
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訪問介護の仕事を兼務しながら、最終的には訪問介護課への異動を命じられました。役職は課長という責任ある立場です。

部署には現場叩き上げの女性スタッフがとてもパワフルに仕事をされていました。食事介助や入浴介助、排せつの介助などを行う身体介護サービス。調理や洗濯、掃除などを行う生活援助サービス。

これを決められた時間のなかで利用者様おひとりおひとりのニーズに合ったかたちで提供します。ホームヘルパーの派遣調整を行い、時には自らもサービス提供を行います。とても難しい仕事でした。

私は異動してからすぐにこんな失敗をしました。日中はご家族がご不在になる利用者様のお宅を訪問して昼食を作るサービスがありました。私は調理などほとんどしたことがありませんでしたが、責任者が部下に「できない」なんて言うわけにはいかない、、、と思い込み、自分で下調べをして訪問をしました。部下は「課長、料理したことなさそうだけど大丈夫かなぁ」と思っていたと思います。

結果、ご家族様から苦情をいただくことになってしまいました。苦情の内容は作った食事のことではなく、使った調味料やフライパンを元の位置に戻してこなかったことに対してでした。調理ばかりに気をとられ片付けを疎かにしてしまったのです。その後は、素直に部下にいろいろと教わりました。最初からこうしておけばご家族様はもちろん、部下に対しても迷惑や心配をかけずにすんだのだろうと反省しました。

自由な社風により育まれた自主性と会社の成長
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入社から数年間、いろいろな仕事をおぼえる機会をいただきながら充実した忙しい毎日を過ごしていました。仕事を楽しくやりがいをもってできていたことは、介護保険制度がスタートしたばかりであったことともうひとつ、アイムの社風のおかげでもありました。

アイムは当時から ”契約サービス以外のことでも利用者様が喜んでいただくことがあればどんどんやってきなさい” という雰囲気があって、そういったことを自由に任せていただけたことで、利用者様から「ありがとう」「また来てね」と言っていただくことや、関係機関の方から名指しでお仕事のご依頼をいただくことができました。

仕事を通じて人のお役にたてていることがとても嬉しくて、仕事が益々楽しくなっていきました。会社も順風満帆だったと思います。私が入社した当時は小さな介護ショップが併設された本社と隣の建物にある事務所の2拠点でしたが、みるみると営業拠点が増えていきました。

本社でも順調に仕事が増えていき事務所が手狭になったころ、裏の敷地に本社ビルの建設が始まりました。
その頃の全従業員数は優に300名を超えていたと思います。

右肩上がりの業績の裏に蓄積された社内の疲労
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私はそんななか事業統括部長としてより大きな職責を担わせていただくようになりました。
私に課せられた任務は「顧客を増やし続けること」「業績を上げ続けること」です。大きなプレッシャーを感じていました。

会社の方針は事業拡大へと急激にシフトをしていきます。最初は順調にすすんでいたように思います。営業拠点を増やし業績も右肩上がりでした。

しかし、それとは反対に社内の人間関係は疲弊していき不平や不満を訴える社員が増えて、次第に人が辞めていきました。

当時の私はコミュニケーションや指示が思うようにできず、スタッフの相談に乗ることもうまくできずに悩んでいました。

そんな状況ですからみんなは仕事に身が入らず、仕事の話をしていても聞いているような素振りだけで、誰の耳にも入っていない状態。それに気づきながら話している自分に対してもストレスと困難を感じていました。

人が次々と離れていく中で、経営側、スタッフ側どちらの気持ちもわかるものの、自分の力では引き留めることもできず、ただただ私自身の実力不足と人間的な未熟さを痛感していました。何とも言い難い残念な気持ちでいっぱいでした。

感じてしまった限界
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肝心な業績も伸び悩み、このような結果を起こしてしまったのは私の責任だと強く感じていました。私は心の中にも疲れが積み重なり限界が近づいていました。

いつしか「会社を辞めよう」と思うようになっていきます。実は、入社した29歳の頃から、仕事を覚えていつか独立できるような人になりたいという志がありました。会社の中が疲弊している状況で、また、自分のできることが何かあればやってみたいという気持ちが出てきました。

当時の社長(現相談役)に何度か話をしてみましたが希望は通らず、受け入れてはもらえませんでした。それはそうです。新しいプロジェクトが次々にすすんでいる中で部長である私が退職をすることなど、受け入れられるわけがありません。

一方で社内の状況も、どんどん悪化していきました。そういった現状がありながら変えられない自分。幹部として話を聞いたり、説得したり、引き留めたりするものの、やっぱり辞めていくスタッフに心の中で“またか”と落ち込みながら“よく頑張ってきたね”としか言えない自分。

“自分がもっとしっかりしていれば、違っていたのかもしれない。済まなかったな”と思いながら、辞めていく人を見送るだけの自分に情けなさを感じていました。

差し込んだ一筋の光
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そんな中、若いころからずっと一緒にやってきた現社長(当時は副社長)が”会社の中を変えようという働きかけを始めました。
当時の会社の状態はとても酷い状態でした。そんななか、問題解決に一つひとつ取り組んでいくのは本当に大変だったと思うのですが、体を張って改善に乗り出してくれました。

社長は私が入社したときに現場研修で仕事を教えてくれた先輩です。当時まだ20代前半だったと思います。とても面倒見がよいシャイでやんちゃな青年、というのが第一印象でした。

それから10数年一緒に仕事をしてきました。その社長がこの苦境の時に「会社を変えよう!」と動き出し「一緒にやってほしい!」と話をしてくれました。社長の思いが有難く、純粋に嬉しいと感じました。

ある日、社長が「謝らなければいけないことがある」と私のところに来ました。社長は、私が“辞める”といった時に向き合わなかったこと。私に辞められるのが嫌で見て見ぬふりをしていたことを謝りたいと言ってくれました。私はその熱誠に引っ張られるように「まずは会社を落ち着かせることに取り組もう」と決意をしました。

しかし本当の力になるには、自分の人間性をもっと成長させる必要がありました。そこで社長と同じ研修に通わせていただきながら、自分の未熟さに真剣に向き合いました。辛くて苦しくて逃げ出したくもなりましたが「成長したい!」その一心で向き合い続けました。

長いトンネルを抜けて見えてきたもの
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「仕事は任務を忠実にこなすこと」「仕事は辛いけど我慢しながら続けるもの」と思っていたことが自分だけの思い込みであることに気づき、本当は自分らしくあるべきで周りもそれを望んでいることにも気づきました。

また「仕事のために家族を犠牲にすることは当然」という思い込みにも気づきました。仕事にかまけて家族を蔑ろにしてきたことを指摘され、同時にそれは何よりも家族を大切に思っている自分の責任感だということにも気づくと、自然と涙が流れました。

やがて体のどこかに栓が止まり、長い時間をかけながら減り続けいていたエネルギーが徐々に体に戻ってきました。

そこからは部下とのコミュニケーションが向上したと思います。私自身なんでもオープンに話せるようになり、仕事も部下との関係も「楽しくなきゃ!」「みんな仲間だ!」と心から思えるようになりました。
子供の頃、友達と公園で楽しく遊んでいたころの風景が蘇り童心にかえった感覚です。アイムをそんな場所にしたい!みんながもっと幸せになる働き方を実現したい!そう強く思いました。

チームフィロソフィー
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社長とは「ビジョンを実現するには、今何をすべきなのか」をそれこそ四六時中考え話し合いました。

事業拡大を完全にストップし売上や利益を優先することをやめ、過去の仕事観にとらわれずビジョンに向かった働き方のバージョンアップをコツコツとすすめていきました。

退職をしていくスタッフとも、お互いにそれぞれのやりたいことや会社の方向性を何度も話し合うことができるようになりました。

退職をした方からお仕事の依頼を受けることも多くあります。とても有り難いことです。
今では会社のなかも大きく変わりました。

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チームフィロソフィーを共有し共通の価値観で繋がりながら多様な働き方をすすめることで、チームワークの善い明るい職場が実現しています。

以前から一緒に働いてくれている人たちと、新しく仲間に加わってくれた人たちが融合していて、楽しい職場づくりが進んでいます。これからはこれをもっと循環させていきたいと思っています。

新時代だからこそ、強化する心の繋がり
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ここ数年の業界の人不足は顕著です。介護保険制度も様変わりした今では人に依存する働き方は、続けることができなくなるでしょう。

そうなってしまえば今の介護サービスの質を向上していくどころか、維持していくことすらできなくなります。これからは過去や思い込みにとらわれることなく働き方をみんなで楽しみながらデザインしていく時代だと思っています。

ITやロボットが人間の仕事を肩代わりしてくれる時代になり、私たちは新しい技術を積極的に取り入れながら人の心に寄り添う時間を増やし利用者様へのサービスをもっと温もりのあるものにしなければなりません。

私にはやりたいことがあります。

一つめは、仲間が楽しく元気に働ける場所創りをすすめること。これは「自分一人がよければいい」という考え方の人が一人でもいたら実現はできないと思っています。
「おかげさま」の気持ちをもって過ごし、それに対して「いつもありがとう」と心から伝え合う場所を広げたいと思っています。

二つめは、未来に貢献をすることです。いろいろなことにチャレンジし自分自身を成長させていきながら、社会の未来創りに貢献したいと思っています。
これまでたくさんの経験と数えきれない失敗をさせていただきました。お世話になった人達を数えられたとしたら途方もない数になると思います。
その方々すべてに直接恩返しをすることはできませんが、感謝の気持ちをもって人間的に成長しながらすべての未来に貢献をして参りたいと思います。

最後までお読みいただき、有難うございました!

 

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